自由と初めてのじーちゃんばーちゃん^^

娘は初めて会うじーちゃんばーちゃんでした。
最初の1週間は両親の部屋には寄りつかず。
私が父の介護で部屋の中に居る時にはかろうじて入って来ると言う様子で、まぁ仕方ないかなぁとも思ってました。


が、1週間を過ぎ2週間目くらいから、あれ?娘がいないぞ?と思っていると、じーちゃんのベッドの横に立っていたり、ばーちゃんのベッドの上に乗ってテレビを見ていたり。


そして、私が一番気にかけていた事は、父は半身不随で既にもう食事もまともには喉を通らず、水さえ飲めない状況です。
食事中にもよくむせて吐いたりします。


それでも一緒に食事と摂る事を選んだ息子だったので、娘はどうだろう・・・と思っていると、父がむせると「大丈夫?じーちゃん大丈夫かぁ?」とティッシュを取ってあげたり、エプロンを拭いてあげたり。
嫌がるどころか、しっかりと私と一緒にお世話をしてあげてくれました。


息子曰く、「じーちゃんは病気なんだし、汚いとか思っちゃいけないんだよ!ママ。じーちゃんだって好きでああなってるわけじゃないんだから」と言ってくれ、いや。。私は君たちの反応が気になっただけなんだけどね><


子供達には本当に一番最初に感謝した事でした。


そしてそれからも娘は両親の部屋に毎日行き、じーちゃんを無理やりベッドに座らせたり起こしたりして、ボール投げをして遊んだり、飛行機を作って遊んだり。


何よりも娘が楽しかったのは、玄関を降りてガラガラ〜と戸を開けると、そこはもう外!!
自由に家の中と外を出入りし、庭で遊んだり、たまには冒険!!と言うように、門を出て自宅周辺を散歩しては、ちょっと行きすぎたかな?と思ったら走って帰って来たり。


毎日のように自由に、これが本当の意味での自由だ〜みたいな感じで外で遊んでおりました。
雨の日は車庫の中で遊んだり、庭のテラスの下にキャンプ用の折り畳みテーブルといすを出しておりましたから、そこにドールハウスを置いておき、雨の日でも遊べるようにしたり、初めての長靴と傘。


思い存分に遊んでました。


毎日の庭の植木や花への水やりも手伝ってくれ、娘専用のジョーロで水やりしたり、庭にいる色んな虫などの名前を覚えて。
中でも娘のお気に入りはチョウチョやテントウムシやカタツムリ。
テントウムシの幼虫まで解るようになり、「はやくヨウチュテントウムシにならないかなぁ」とまで話せるようになり。


家の中を自由に出入りして遊ぶ娘を見る為に、父も今まで以上にベッドから起きあげる事も増え、車いすに乗っている時間も増え、自宅での良いリハビリになっていたようでした。
おかげで私は即効で腱鞘炎になり、今でも痛みは続いております。。アハハ><


短い期間ではありましたが今回の介護帰省は、娘にとっては大きな成長をもたらしてくれました。
今でも毎日母に電話をかけて!と私に訴えて来ては、母と電話で話をしてます。
たまにジーちゃんに代わって!ともいうのですが、さすがにじーちゃんの言葉は聞き取れず。。。


介護って、する側の気持ちだけじゃだめなんだと言う事も本当に骨身にしみて解った今回の帰省。
される側の気持ちも重んじてあげないと!と言う事も解りましたが、うちの3姉妹は皆、嫁に行った身分でして。。。
自分の親の介護の為に帰省を快く承知してくれ、私たちに仕送りをしてくれながらも、両親を気遣ってくれたパパにも感謝。


5月末に自宅に帰って来た時。。。
真っ先にしたのは、冷蔵庫掃除でした><


毎日終電で帰る日々だったそうで、当然3食が外食。
色々と私が準備していたものや、ある程度日持ちのするものも、冷蔵庫の中でも悪臭が漂っていました><


仙台に転勤になった妹も、ご主人と合流するまでの約2週間。
ご主人は生ごみが腐敗すると大変だと、お弁当の食べ残しや色んなゴミを冷蔵庫に入れていたそうで、妹も冷蔵庫掃除からやったそうで。
一緒だね〜と笑いあった先週。


まだまだ実家の事についても、問題が大きくなるのはこれからだとも思ってますし、仙台に転勤した妹もいくら子供がいなくて大人二人だからある程度は自由が効くとは言えども、色々と日常は大変なようで。
今まで四国で赴任していたご主人と実家にいた妹。
テレビのニュースでしか見なかった被災地の現状を目の当たりにしているそうです。


我が実家を取り巻く皆が大変になってくるだろうこれから。
頑張らないと!!です^^